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Gikoohの見聞記

2021.4.15up

去る4月8日開催の勝福寺灌仏会(花まつり)を振り返る、の巻!
春暁暁をおぼえずと申しますが、誠に過ごしやすい好季を迎えております。皆さま、いかがお過ごしですか?新型コロナウィルス感染症の終息に今なお歯止めがかかりませんが、感染の不安で日々を過ごしたり、或いは生活環境に何らかの支障をきたしておられる人も少なくないでしょうか。でも闇の向こうには光が輝いていることを信じて、精進したいものです。
また、医療従事者の方々をはじめ、介護福祉職関係の方々、自治体の方々等々、私たちのライフラインを支えて下さるすべての皆さまには本当に感謝申し上げます。どうか、身体を労わりご無理のなきよう切に案じております。
今回は当寺において先日開催しましたお釈迦さまのご生誕を祝う「花まつり」の様子をお届けしたいと思います。当寺では、大きな行事は新型コロナ感染予防のため自粛を続けておりますが、小さな行事は様子を見ながら開催しております。
このGikoohの見聞記をご覧になられた皆さまがひと時でもお楽しみ頂き、そしてまた、何かしらお釈迦さまをお感じ頂けましたら有難く思います。


イラスト:冨永洋さん

天上天下唯我独尊 … 私たち1人ひとりの人間は、唯一無二の身体と心を持って生まれてきた
かげがえのない尊い存在であることを宣言された喜びの声
白象 … マーヤー夫人は白象が右脇から胎内に入る夢をご覧になられ後に、お釈迦さまをご懐妊されている。白象は清らかなもの、縁起のよい知らせという。
―藤井敏哉先生の『仏陀』を参考にしながら、花まつりについて述べたいと思います―
この王子(お釈迦さま)は家にあれば全世界を武器を用いず徳をもって導く王となるであろうし、また、出家すれば尊い悟りを開いて人類を教化救済する救い主となられるであろう…(アシタ仙人の予言)
お釈迦さまは、今から約2500年前の西紀前566年(衆聖点記の説)4月8日、インドはヒマラヤ山麓のルンビニー園(現在のネパール領域)でご生誕されました。
お釈迦さまは幼名をシッダッタといい、父はスッドーダナ王、母はマーヤー夫人です。伝記によれば、マーヤー夫人はお釈迦さまをご出産されるために、里かたへ向かう途中ルンビニー園で休息をされ、咲き誇る純白の無憂樹を愛でておられましたが、その時に、急にご生誕されたといいます。
その頃の両親の年齢は35歳前後といいますから、王宮の喜びは計り知れません。一行は急いで王宮へ引き返しましたが、お釈迦さま出生後7日目にマーヤー夫人はお亡くなりになられました。恐らく、予期せぬ場所でのご出産だっため、産後の手当てが十分出来なかったのではないかと推測されています。喜びと悲しみが交錯しながら、日々は過ぎていきます。
インド古来の慣習に従って、父王はアシタという仙人に王子の人相を占わせました。アシタ仙人は王子を抱くと、「これはこの上もなく尊い方です」と言いながら、ふさぎこみ涙を流しました。周囲の人たちは、アシタ仙人の突然の姿を見て非常に驚き動揺しました。しかし、アシタ仙人は次のように語りました。
「私は王子に不吉の相があるから泣いたのではない。この王子は普通の方ではない。この王子は家にあれば全世界を武器を用いず徳をもって導く王となるであろうし、また、出家すれば尊い悟りを開いて人々を導き教化救済する救い主となられるであろう。いずれにしても、既に私は年老いて死も近いことである。私は遂にこの方の成人された姿を見ることも出来ないし、教えを頂くことも出来ない。そう思うとつい悲しくなって涙がこぼれたのである。」と。
成長されたお釈迦さまは、高貴な社会生活を29歳で放棄し、また恵まれた王宮生活を放棄して出家します。その後、35歳で悟りを開くまでの6年間、厳しい苦行に身を投じ、やがて世の真実の見極め、人々を導く仏陀となるのです。
私たちの人生行路は晴れた日もあれば雨の日もあり、風の日もあれば雪の日もあります。物事が上手く運ぶ順境の時もあれば、いくら努力しても報われない逆境の時もあります。戦争のない恵まれた時代に生きる私たちは、苦難を乗り越えて現在の平和があるわけですから社会全体が順境でなければならない筈です。ところが、国内全体を垣間見ると多くの事象が逆境に向かいつつあります。これは長年、世の好景気を後押しした文明社会の一方で、正しく過去と現在、自身の心と向き合ってこなかったことが一因であると考えています。
昨今、無宗教を自負する人が増加し、とかく自分本位な立場で物事を捉え、神仏や先祖を軽視する人、世の流行となってしまった核家族、近隣や地域住民との希薄化など寂しい思いがしています。これらが改善して順境になるためには、個の主張も尊重しなければなりませんが、政府や自治体の長が正しい指針を示さねばなりません。国民1人の小さな力では社会の流れには逆らえませんから、長が主導せねばならないのです。今こそ、真の大切な方向性を問うべきです。
ところで徳川幕府が260年もの間、平和の世を達観したことは周知の如くです。徳川家康公が慶長8年正月15日に示された有名な人生訓です。実は先日、来寺されたお客さまよりお話頂き、改めて味わい深い内容だと感動しましたので、皆さまにもご紹介したいと思った次第です。
一、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし。
一、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
一、堪忍は無事長久の基。
一、勝つことばかり知りて、敗くること知らざれば害その身に至る。
一、おのれを責めて人を責むるな。
一、及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この考えが世に広く浸透すれば、令和の世も江戸時代のように安寧するのかもしれません。災害も頻発していますが、人の世が乱れれば災害も多くなるものですから。
話が脱線しました。話を戻します。こうした人生に処して、悟りを開いて仏陀となられたお釈迦さまは、その後80歳で御入滅するまでの45年間、インド各地を巡回し人々を教化布教をされて、偉大な遺跡を遺されたのです。
花まつりは正式には灌仏会といか仏生会ともいい、ルンビニー園をかたどった花御堂に誕生仏のお釈迦さまを安置し、甘茶を掛けてお祝いします。お釈迦さまが誕生された時、天も大変に喜んで竜王が清浄なる甘露を降り灌いで洗い清めたという故事に因んで、花まつりではお釈迦さまに甘茶を掛けてお祝いします。
令和3年4月8日 当寺におきましても、新型コロナウイルス感染症対策に気を配りながら、お釈迦さまのご生誕をお祝する花まつりを開催しました。入れ代わり立ち代わり、約50名さまにお参り頂き、清らかな1日となりました。

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本堂に花御堂をおいて、お参り頂きました。

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新型コロナウイルス感染症予防の為、ご参詣の皆さまにはマスクご着用や手指の消毒などご協力をお願いするなど、ご不便をお掛けしました。有難うございます。

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上のお花もそうですが、ご覧頂いております「スィート゚ヒ-」は、篤信な檀家さまの御供えです。ボリュームがあって、甘い香りといい、色といい、これは大変有難かったです。

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堂内に映える小さな花御堂

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当寺のお参り作法です。作法は諸々ですから、各寺に習ってください。お釈迦さまに甘茶を灌ぐ功徳は広大といい、早くからインドや中国で始まったようです。日本では推古天皇14年(606)に元興寺で行われたのが灌仏会の起源なんだとか。

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誕生時の有名な伝説として、お釈迦さまは生まれるとすぐに七歩歩み、右手は天を指し、左手は地を指して「天上天下唯我独尊}と宣言されたといいます。伝説はしばしば事実よりも深い意味を物語っているもので、天上天下唯我独尊とは、「私たち1人ひとりの人間は、唯一無二の身体と心を持って生まれてきたかげがえのない尊い存在である」ことを宣言された喜びの声です。
皆さまお1人お1人が、かけがえのない尊い存在なのですよ。

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幼稚園児さんから年配の人たちまで、幅広い年齢層の方々にお参り頂けて有難いです。

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お釈迦さまの紙芝居上映

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子どもさんが来るたびに、紙芝居の上演。

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昨年は新型コロナウィルス感染症対策から、甘茶のお接待もお持ち帰り用を控えるなど自粛モードでしたが、今回は例年通り甘茶・パンのお接待の再開を試みました。甘茶は貴重な国内産、パンは、今回総社市民にとって馴染み1店であるトングウさんにお世話になりました。

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倉敷市真備町産の青竹でこしらえて頂いた花器です。もう10年以上お世話になっているような…。そこへご参拝頂いた一輪のお花を供花頂きます。
今年も、こうして無事に花まつりを終えることが出来ました。皆さまがお住まいの地域で、花まつりが開催されている寺院や教会がありましたら、次回は是非参加してみて下さい。
きっと心が洗われるような清々しい気持ちになることでしょう。